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2007年02月11日

ある雑誌のブログ特集で自分のサイトが取り上げられたおり、「バックステージ」的な情報という紹介のされ方をしたことを思い出す。

そんな舞台裏が書物であるという感覚自体が失われているのかもしれないとも思う。
松岡正剛氏の千夜千冊を面白がったりすること自体がもはや時代遅れと言うか。
つまり、自分自身には根強い、書物に対する強い執着が、若い世代にはなくなりつつあるのではないか、という漠然とした予感。

そもそもこんな電子情報の「舞台」に書くこととは、では、いったい何なのか。
ブログなど書いていないで、累積債務を解消せよ、という声も聞こえてきそうだ。

少なくともこの場は端的に割り切って、事態の流れを時々刻々報告するためのものでしかない。
自分だけが暇で過剰なのかもしれないが、記録としての意味くらいはもつだろう。

例えば、ヴァールブルク研究の進展について書くことは退屈でしょうかね。
わたしは(自分のよく知らない)専門的な研究の先端で起こっていることを知るのが退屈とは思わない。
最近勉強になっているのは三中信宏さんのサイト、とくに、多言語にわたる書物に関する情報ページだ(ここで教えられた本も多いので、遅ればせながら、感謝の意味を込めて)。

もっとも、一番の核心は手短かに伝えようもないアイディアなので、それはひたすら原稿に書くしかないわけです。
要はメディアの使い分けなのだ。書物には硬い鉱物のような稠密性と重さを求めたい。
まあ、そんな理想があるから、つねにハードルが高くなり、遅筆にもなってしまうわけなのだけれど。