マクルーハンと/のSecond Life|門林岳史 2007年02月21日
バイロイト郊外のテュルナウ城で開催された会議「マクルーハン再読」に参加したあと、ミュンヘンに滞在している。「21世紀のメディアと文化についての国際会議」と副題が添えられたこのイベントの趣旨自体に必ずしも共感できるわけではない。だが、この「再読」という契機が突きつけてくる「いま」への問いなしにはどんなテクストの読解も意味をなさないのだし、マクルーハンはとりわけそうした対象として与えられている。そういう意味で、さまざまな領域から集まった発表者がそれぞれにメディアの「いま」を問いかけるこの会議から得たものは多かった。
会議からの帰途手にした『Der Spiegel』の最新号では「Second Life」の特集記事が組まれており、カールスルーエのメディア理論家/アーティスト、ペーター・ヴァイベルがインタビューに答えて、すでに数百万の住民を持つこのヴァーチャルな「第二の生」のキリスト教的な含意について注釈を加えている。その一方でドイツはいまカーニヴァルの季節を迎えており、束の間立ち寄ったバイロイトの街はめいめいに仮装した子供たちであふれていた。「アヴァター」を身にまとった住民たちが住まうヴァーチャルな世界を、年中続くカーニヴァルと理解することもできるだろう。しかしながら、この仮面への連想がそれとともに喚起しているのは、祝祭空間を生起させるこの生成変化の幼年期的な性格ではないだろうか。ネット上のヴァーチャルな世界もいま可塑的な幼年期にある。そして、マクルーハン再読に意味があるとすれば、それはおそらく彼の「理論」を現在のメディア環境に応用することにではなく、彼のテクストを彼の時代におけるメディアの幼年期との出会いとして、一回的な出来事として読むことにあるのだ。
『Der Spiegel』では、中国、武漢で夜を徹してコンピューターに向かう「Second Life」の住民がこう述べている。「いま再び新しい世界が構築された。いまはパイオニアの時代だ。…いま眠る者はそれだけで罪である。」