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    <title>SITE ZERO Diary Blog</title>
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    <updated>2010-11-02T03:59:43Z</updated>
    <subtitle>SITE ZERO/ZERO SITE 関係者が綴るダイアリー。
さまざまな情報、日々の関心を投稿します。</subtitle>
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    <title>シンポジウム「建築保存の現在」のご案内｜小澤京子</title>
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    <published>2010-11-02T03:56:19Z</published>
    <updated>2010-11-02T03:59:43Z</updated>
    
    <summary> 近年とみに、歴史的建造物をさまざまなかたちで「保存」する試みが盛んとなっている...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://site-zero.net/blog/">
        <![CDATA[ 近年とみに、歴史的建造物をさまざまなかたちで「保存」する試みが盛んとなっている。その形式は、現状そのままの「保存」から、アッサンブラージュのような「一部保存」、転用やリノベーション等、さまざまである。このような状況を、具体的事例に即しつつも俯瞰的視点から再考するために、このシンポジウムでは、日本における「建築保存」の特異な2形態──「三菱一号館」と「原爆ドーム」──に焦点を当て、分析と議論を行なう。
現在の日本において「歴史的建造物の保存」が有する、政治的・社会的・文化的な意味を浮上させることが、当シンポジウムの最終的な目的である。


<strong>日時</strong>：11月11日（木）17:00-19:00
<strong>場所</strong>：<a href="http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_32_j.html">東京大学駒場キャンパス｜アドミニストレーション棟3F｜学際交流ホール</a>
<strong>その他</strong>：入場無料｜事前登録不要
 
【提題者・レスポンダント】
中谷礼仁（早稲田大学准教授）
「保存とは何か──建築における生と死とを考える」
 
【発表者1】
内田祥士（東洋大学教授・建築家）
「三菱一号館──その解体と再現の背景を考える」
 
【発表者2】
頴原澄子（九州産業大学講師）
｢『原爆ドーム』をまもってきたもの」
 
【コメンテーター】
田中純（東京大学教授｜UTCP）
 
【司会者】
小澤京子（UTCP）
 
以下のページからフライヤーをダウンロードしていただけます
⇒　<a href="http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2010-11-10-architecture-conservation-symposium-flyer.pdf">http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2010-11-10-architecture-conservation-symposium-flyer.pdf</a>]]>
        
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    <title>北仲スクール・アーバンアート論B 「これから生まれる建築と生態のために」（藤本壮介／平田晃久＋榑沼範久）講演・対談のご案内｜飯尾次郎</title>
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    <published>2010-10-22T07:55:35Z</published>
    <updated>2010-10-22T08:11:24Z</updated>
    
    <summary>────────────────────────────────── 2010年...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://site-zero.net/blog/">
        <![CDATA[──────────────────────────────────
2010年10月28日（木）18：00〜20：00
【講演】藤本壮介　【対談】藤本壮介＋榑沼範久（横浜国立大学准教授）
会場：YCC（ヨコハマ都市創造センター）3階
──────────────────────────────────
2010年12月09日（木）18：00〜20：00
【講演】平田晃久　【対談】平田晃久＋榑沼範久
会場：YCC（ヨコハマ都市創造センター）3階
──────────────────────────────────

この2つの講演・対談は北仲スクール（横浜文化創造都市スクール）の都市文化創成基礎科目「アーバンアート論B」（榑沼範久）の一環として開かれますが、どなたでも聴講することができます。両日ともに無料。予約の必要はありません。


■<strong>藤本壮介</strong>（ふじもと そうすけ）
建築家。東京大学特任准教授。「藤本壮介展『山のような建築 雲のような建築 森のような建築』」（ワタリウム美術館）開催中。設計「情緒障害児短期治療施設」「House N」「武蔵野美術大学美術館・図書館新棟」など。著書『原初的な未来の建築』（INAX出版）、『建築が生まれるとき』（王国社）、共著『20XXの建築原理へ』（INAX出版）、『建築家の読書術』（TOTO出版）、『武蔵野美術大学 美術館・図書館』など。
<a href="http://www.sou-fujimoto.net/">http://www.sou-fujimoto.net/<a/>
<br>
■<strong>平田晃久</strong>（ひらた あきひさ）
建築家。設計「House S」「枡屋本店」「sarugaku」「csh」など。著書『animated 生命のような建築へ』（グラフィック社）、共著『20XXの建築原理へ』（INAX出版）、『建築家の読書術』（TOTO出版）など。
<a href="http://www.hao.nu/">http://www.hao.nu/<a/>
<br>
■<strong>榑沼範久</strong>（くれぬま のりひさ）
研究者。横浜国立大学准教授。論文「知覚と生4──建築の生態学（1）」（『SITE ZERO/ZERO SITE』No.3、メディア・デザイン研究所）など。訳書『視覚論』（ハル・フォスター編、平凡社）など。
<a href="http://site-zero.net/">http://site-zero.net/<a/>
<br>

会場：YCC（ヨコハマ都市創造センター）
〒231-8315 神奈川県横浜市中区本町6-50-1
みなとみらい線「馬車道駅」1b出口［野毛・桜木町口（アイランドタワー連絡口）］
JR・市営地下鉄「桜木町駅」徒歩5分
JR・市営地下鉄「関内駅」徒歩7分
※YCCに駐車場はありません。近隣の有料駐車場をご利用下さい。
問合せ：北仲スクール（横浜文化創造都市スクール）事務局
〒231-0003 神奈川県横浜市中区北仲通5-57-2　北仲BRICK 2階
電話：045-263-9075　FAX：045-263-9076
E-mail：<a href="mailto:info@kitanaka-school.net">info@kitanaka-school.net]]>
        
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    <title>『SITE ZERO/ZERO SITE』No.3_トーク・イヴェント（@ジュンク堂書店新宿店）開催のお知らせ ｜飯尾次郎</title>
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    <published>2010-07-03T07:28:45Z</published>
    <updated>2010-07-03T07:31:00Z</updated>
    
    <summary>近年活発になりつつある2つの批評言説、〈イメージ人類学〉（ジョルジュ・ディディ＝...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://site-zero.net/blog/">
        <![CDATA[近年活発になりつつある2つの批評言説、〈イメージ人類学〉（ジョルジュ・ディディ＝ユベルマン、ハンス・ベルティング etc.）と〈ヴァナキュラー文化論〉（ミリアム・ブラトゥ・ハンセン、ジェフリー・バッチェン etc.）は、写真、絵画、映画、メディア、建築、認知考古学等との関係をめぐって、大文字の芸術を肯定的に語ることが批評的意義を失ったと感じられる現在の知的状況をどのように捉え、再び語りはじめることができるか。
責任編集の田中純氏、特集企画者の門林岳史氏にくわえ、写真家、評論家の港千尋氏をお招きして、「〈イメージ〉の現在」と批評の可能性を考えます。

ご興味のある皆様にお越しいただければ幸いです。

────

日　時：2010年7月11日（日）、開演18:30（開場18:00）
会　場：ジュンク堂書店新宿店、8階喫茶コーナー
　　　　<a href="http://www.junkudo.co.jp/tenpo/shop-shinjuku.html">http://www.junkudo.co.jp/tenpo/shop-shinjuku.html</a>
　　　　<a href="http://www.junkudo.co.jp/tenpo/evtalk-shinjyuku.html#20100711shinjuku">http://www.junkudo.co.jp/tenpo/evtalk-shinjyuku.html#20100711shinjuku</a>
ゲスト（50音順）：
　　　　- 門林岳史氏（関西大学文学部映像文化専修准教授／『SITE ZERO/ZERO SITE』No.3）、
　　　　- 田中純氏（東京大学大学院総合文化研究科教授／『イメージの自然史』）
　　　　- 港千尋氏（多摩美術大学美術学部情報デザイン学科教授／増補新版『考える皮膚』）
入場料：1,000円（1ドリンクつき）
定　員：50名
受　付：7Fカウンターにて。電話予約も承ります。ジュンク堂書店新宿店 TEL.03-5363-1300 まで

────]]>
        
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    <title>『SITE ZERO/ZERO SITE』No.3_トーク・イヴェント（@京都MEDIA SHOP）開催のお知らせ ｜飯尾次郎</title>
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    <published>2010-06-19T11:28:40Z</published>
    <updated>2010-07-03T07:27:55Z</updated>
    
    <summary>この度、イメージ人類学とヴァナキュラー文化論の交点をめぐって、写真─映画─絵画─...</summary>
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            <category term="イベント" />
            <category term="写真" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://site-zero.net/blog/">
        <![CDATA[この度、イメージ人類学とヴァナキュラー文化論の交点をめぐって、写真─映画─絵画─メディア─建築─考現学─人類学─認知考古学等からのアプローチを行なった「特集＝ヴァナキュラー・イメージの人類学」を刊行いたしました。

この期に合わせ、現在行なわれる写真論が、これまでの芸術理解についてのパースペクティヴを大きく変えつつある状況を、小誌特集企画者の門林岳史氏、気鋭の写真批評家ジェフリー・バッチェンの仕事を紹介する前川修氏、佐藤守弘氏、岩城覚久氏の4名に語っていただきます。最も注目すべき写真論、芸術論。

ご興味のある皆様にお越しいただければ幸いです。

────

日　時：2010年6月27日（日）15 : 00-17 : 00
会　場：<a href="http://www.media-shop.co.jp">MEDIA SHOP</a>（京都市中京区大黒町44VOXビル1F　TEL: 075-255-0783）
ゲスト：
　　　　- 門林岳史（関西大学准教授、特集企画者）、
　　　　- 前川修（神戸大学准教授、ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー』
　　　　［青弓社より近刊］翻訳者）
　　　　- 佐藤守弘（京都精華大学准教授、同翻訳者）
　　　　- 岩城覚久（関西大学大学院、同翻訳者）
入場料：500円

────

※ 約30〜40名様にお入りいただける会場が満席となり次第、ご入場を打ち切りとさせていただきますことをご了承ください。]]>
        
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    <title>第六回若手研究者フォーラム「イメージ（論）の臨界：表象可能 性への配慮」｜森田團</title>
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    <published>2010-03-04T00:41:09Z</published>
    <updated>2010-03-04T00:59:24Z</updated>
    
    <summary>このたび、第六回若手研究者フォーラム「イメージ（論）の臨界：表象可能性への配慮」...</summary>
    <author>
        <name>森田團</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://site-zero.net/blog/">
        このたび、第六回若手研究者フォーラム「イメージ（論）の臨界：表象可能性への配慮」を以下のとおり開催する運びとなりました。お忙しい頃と存じますが、是非とも足を運んでいただけますようご案内させていただきます。

日時：     2010年3月6日（土）13時
場所：     京都大学大学院　人間・環境学研究科棟　地階B23室
主催：     科学研究費萌芽研究　「美術史の脱構築と再構築」（代表：岡田温司）
問い合わせ：　京都大学大学院　岡田研究室　（075-753-6546）

        司会  森田　團(東京大学グローバルCOE特任研究員)

パネリストおよび要旨一覧（発表順も以下の通りです）

池野絢子(京都大学大学院・博士後期課程)
「眼差しの期待のもとに」──ジュリオ・パオリーニの初期作品における「作者」について

戦後イタリアの芸術家ジュリオ・パオリーニ(1940-)は、1960年代のはじめ、イメージを排除する反イリュージョニズムの作品から出発しているが、67年以降、彼の作品には写真複製された過去の巨匠たちの絵画が登場し始める。このようなイメージの回帰は、とはいえ、単なるコピーや引用といったものではない。むしろ問題化されているのは、作品の作者である「パオリーニ」と、過去に制作された絵画の作者たちという、複数の作者たちによるイメージの重なりあいである。ロラン・バルトの名高い「作者の死」(1968)と相前後して発表されたパオリーニの作品にあって、しかしながら「作者」は、完全に葬り去られたとも、単純に回帰したとも言いがたいように思われる。本発表では、パオリーニの作品の分析を通じて、芸術作品における「作者」の所在を再考する端緒を探りたい。


堤裕策(東京大学大学院・博士後期課程)
「生きられた演劇」──ミシェル・レリスの憑依論における経験の表象可能性

1931年から1933年にかけてアフリカを横断したダカール・ジブチ調査団に帯同し、エチオピアにおいて憑依儀礼を調査したミシェル・レリスは、その2０年あまり後、『エチオピアのゴンダル人における憑依とその演劇的諸相』（1957年）を発表した。この論考においてレリスは、呪術研究における機能主義的あるいは社会学的伝統を踏襲することなく、また精神病理学的解釈とも距離を置きながら、憑依の演劇論的解釈を試みた。本発表では、この演劇論的観点が持つ理論的射程をフランス民族学の歴史的観点から明らかにすることを念頭に、この憑依論において憑依が「生きられた演劇」として提示される過程を分析する。そこで、憑依との比較のために着想された「演劇」概念をアンドレ・シェフネル、モーリス・レーナールト、アルフレッド・メトローらの演劇と呪術の関係を論じた同時代の論考を参照しつつ再検討する。そして、この概念がはらんでいるであろう経験の表象可能性の問題を提示することを目指したい。


蘆田裕史(京都大学大学院・日本学術振興会特別研究員PD)
ゆらぐイメージ──シュルレアリスムにおける衣服＝身体の表象

本発表は、アンドレ・ブルトンの『狂気の愛』を手がかりに、シュルレアリスムの絵画や写真における衣服と身体の関係を論じるものである。シュルレアリストたちの作品においては、衣服と身体が溶け合い、同一化するようなものとして描かれることが少なくない。こうした特徴的な衣服＝身体の表象を考察するにあたって参照されるべきは、アンドレ・ブルトンの『狂気の愛』における、蚤の市で発見されたスプーンについての分析である。ブルトンはこのスプーンのなかに靴のイメージを見出すのだが、この両者のあいだのイメージのゆらぎは、境界が曖昧にされた衣服＝身体の関係と軌を一にしていると言えるだろう。この衣服＝身体の表象にはさらに、同書で展開された「痙攣的な美」の概念が体現されていることを明らかにしたい。


西山達也(慶応義塾大学/早稲田大学・非常勤講師)
porosとpolisの形象──ヘルダーリンとハイデガーによる『アンティゴネー』翻訳

ソポクレスの悲劇『アンティゴネー』における名高い合唱歌「不気味なものは数多くあるが…」をめぐって、詩人ヘルダーリンが精神錯乱（Umnachtung）の閾において遂行した翻訳と、その存在論的改訂版ともいうべきハイデガーによる翻訳（『形而上学入門』および『イスター講義』）を改めて精査する。本発表で注目するのは、この合唱歌において用いられるporos（移行・通過）とpolis（ポリス・場）の形象、とりわけ、合唱歌末尾の「ヒュプシポリス-アポリス〔ポリスを超える・ポリスを失う〕」（370行）という撞着語法、いわば反転の形象が、ヘルダーリンおよびハイデガーの翻訳においてどのような機能を果たしているかである。ソポクレス、ヘルダーリン、ハイデガーのテクストをミクロに読み込むことで、悲劇における形象の現出の可能性、およびその美に関する問いの端緒に触れることができればと思う。


松谷容作(神戸大学大学院・博士後期課程)
身体（運動）の規定──初期映画における映像と身体の関係

ポール・ヴィリリオは速度と人々の知覚の関係と変容について議論する際、次のような言及をする。

「動力革命が始まり、イメージが動き始めると、こういった静物システムは崩壊していった。同時に、視像の静止や、明晰な思考の静止状態から生まれる「広い意味での存在の場」も崩壊した」（ポール・ヴィリリオ『情報エネルギー化社会』、土屋進訳、新評論、p. 104。）

ヴィリリオに従うなら、運動を不動化することによって、見えるという幻覚を与えるシステム、見える、過ぎ去った時間を生じさせるシステムは、動力モーターの出現によって崩壊する。またその出現は、人々の知覚や思考にも大きな変化を与えることになる。では、動力モーターを通じ運動を提示する映画は、人々に対してどのような影響を与えたのか。以上の問題意識で、本発表は、映画誕生期の映像と身体の関係を映写スピードを軸として考察する。


三重野清顕(埼玉医科大学・非常勤講師)
ヘーゲルにおける否定性と形象化の問題

若きヘーゲルがその最初の公刊論文において語るように、哲学の課題とは「絶対者を意識に対して構成すること」にほかならない。それ自身けっして意識の対象とはなりえないはずのものが、いかにして意識における制限された対象として知られうるのかという問題は、ヘーゲルの思考の諸々の段階において、さまざまな形を与えられつつ回帰してくるテーマである。本発表においては、ヘーゲルにおける「否定的なもの」を巡る思考をたどることによって、それが「形象化不可能なものの形象化」という課題をどのように遂行しようとするものなのかという問題に一定の見通しを与えることを目標とする。

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    <title>第2回恵比寿映像祭ラウンドテーブル「オルタナティヴ・ヴィジョンズ──映像の生態学」開催｜飯尾次郎</title>
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    <published>2010-02-10T02:40:22Z</published>
    <updated>2010-02-18T07:45:09Z</updated>
    
    <summary>2010年2月19日（金）〜28日（日）の10日間、東京都写真美術館にて、「映像...</summary>
    <author>
        <name>SITE ZERO / ZERO SITE</name>
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            <category term="イベント" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://site-zero.net/blog/">
        <![CDATA[2010年2月19日（金）〜28日（日）の10日間、<a href="http://www.syabi.com/index.shtml">東京都写真美術館</a>にて、「映像」の現在的意味を問う「<a href="http://www.yebizo.com">第2回恵比寿映像祭</a>」が開催されます。会期中は多くの作品の展示・上映のほか、各種のイヴェントが行なわれます。
<p>
この第2回恵比寿映像祭で、『SITE ZERO/ZERO SITE』内外で活躍される5名により、「オルタナティヴ・ヴィジョンズ──映像の生態学」と題するラウンドテーブルを行ないます。
<p>
【日時・会場】
- 2010年2月20日（土）13：30〜15：30、東京都写真美術館地下1階イヴェント会場
<p>
【登壇者】
- 柳澤田実（南山大学人文学部准教授）
- 大橋完太郎（東京大学グローバルCOE特任研究員）
- 榑沼範久（横浜国立大学メディア研究講座准教授）
- 平倉圭（東京大学グローバルCOE特任研究員）
- ドミニク・チェン（NPOクリエイティブ・コモンズ・ジャパン理事）
<p>
【入場料】
- ¥400（前売）／  ¥500（当日）
  お近くの店頭（チケットぴあ、ファミリーマート、サークルK・サンクス）
  電話予約　0570-02-9999
  <a href="http://pia.jp/t/yebizo">電子チケットぴあ@ぴあ</a>
  ※チケットの買い方 >> チケットぴあのお店・<a href="http://t.pia.jp/guide/retail.html">コンビニのサービスご案内</a>
<p>
なお、当日の議論は「オルタナティヴ・ヴィジョンズ──映像の生態学」の第3回めにあたります。非公開で行なわれたこれまでの2回の議論は「<a href="http://www.yebizo.com/jp/forum/forum_index.html">Yebizoフォーラム</a>」でお読みいただけます。
ご関心のある皆様は是非お気軽にご来聴ください。
<p>]]>
        <![CDATA[────────────────────────

<u>Yebizoラウンドテーブル
オルタナタナティヴ・ヴィジョンズ──映像の生態学</u>

<strong>
映像の生態学──批評と創造、そしてエチカへ</strong>

柳澤田実

メディア的体制の変化にともない、アートの基底材である環境世界とそれに相関する私たちの生態がドラスティックに変質してきたということは、既存のメディア論・消費社会批判でも繰り返し述べられている。しかし、実際にそれがどの程度変質しているのかについては、十分な精査がなされてきたわけではない。生き物としてのヒトの生態に対する批判的検討を困難にしているのは、それを根底で支える知覚経験が容易には意識化されえないからである。このラウンドテーブルでは、アート作品、とりわけ映像が実現しうる批評性・創造性を探るために、にわかには意識化しがたいヒトの生態、とりわけ知覚の領域に踏み込みつつ議論を行なった。こうした生態学的なアプローチによって考察されたのは、映像の触覚性に関する古典的議論であり、知覚を通じて世界を探索する身体と独我論的意識にまつわる問題であり、また知覚するヒトの情動や行為を誘発する映像の解像度・密度についてである。これらの議論は、世界を知覚・認識するヒトが超個体＝「群れ」へと生成変化する可能性へと連なり、また潜在する複数の生の可能性を再活性化するライフ・ログ（Life log）的メディアの創造にまで連結していった。かくして映像を巡る生態学的アプローチは、ヒトという生き物の生存の様態＝生き方という極めてエチカルな観点から映像メディアを再考する可能性を描き出したと言えるだろう。知覚経験から倫理へと迫る今回の議論に触発され、来るべき生態環境のヴィジョンが多様に具体化してゆくことを願っている。]]>
    </content>
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    <title>「イメージ（論）の臨界[5]：感覚の越境と形象化(不)可能性」｜門林岳史</title>
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    <published>2009-08-24T09:06:34Z</published>
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    <summary>8月末に6名の若手研究者によるフォーラムを京都で開催いたします。5回目を迎える今...</summary>
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        <name>門林岳史</name>
        
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        8月末に6名の若手研究者によるフォーラムを京都で開催いたします。5回目を迎える今回のテーマは、「イメージ（論）の臨界[5]：感覚の越境と形象化(不)可能性」です。ふるってご参加いただきますよう、よろしくお願い致します。

タイトル：「イメージ（論）の臨界[5]：感覚の越境と形象化(不)可能性」
日時：2009年8月29日13時より
場所：京都大学大学院人間・環境学研究科棟　地階Ｂ23室
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/access/campus/map6r_ys.htm
主催：科学研究費萌芽研究「美術史の脱構築と再構築」（代表：岡田温司）
事前申込：不要　お気軽にご来聴ください。
        司会
　門林岳史（関西大学・助教）

パネリストおよび発表タイトルと要旨
＊発表順もこの通りです。持ち時間はひとり30分程度を予定しております。

秋吉康晴（神戸大学大学院・博士後期課程）
「音と身体の境界—池田亮司《matrix》における「聞こえること」

本発表で取り上げるのは、ダムタイプの音響担当としても知られる池田亮司（1966〜）のCDアルバム、サウンド・インスタレーション作品『matrix』（2000〜2001）である。アルバム『＋／−』（1996）以降、彼は音素材を最小限のもの（正弦波＝純音やホワイト・ノイズなど）にとどめる代わりに、オーディオ機器の違いや機器とリスナーの位置関係によって多様な響きを生み出すように作品を制作している。しかも、それは単に多様な形で「聞こえる」というだけでなく、ときには音としては「聞こえない」にもかかわらず強い感覚作用—それは軽い眩暈にも似た感覚から、耳鳴りや圧迫感をともなう不快感覚にまで及ぶ—をもたらす。リスナーはこの作品において「音」の境界—「聞こえる」とは何か—をまさに身をもって経験することになる。本発表では、こうした作品が90年代後半以降に登場した背景として音楽聴取に関する脳研究の影響について考察し、音楽聴取が現在どのように問い直されているのかを考えてみたい。

浜野志保（千葉工業大学・助教）
「念写は写真か——テッド・シリアスを手がかりに」

印画紙に向かって“念”を送り、思考のイメージを表出させる「念写（thoughtgraphy）」は、果たして「写真（photography）」の一種と言えるのか。そもそも、写真によって“念”のイメージを捉えようという発想は、どこから生まれたのか。本発表では、1960年代後半のアメリカで、ポラロイド・カメラによる念写を行ったテッド・シリアスの事例を手がかりとして、念写の撮影プロセスを検証すると共に、写真メディアの誕生以降、脈々と続いてきた“見えないもの”のイメージを撮影しようとする試みの歴史（心霊写真、流体写真など）について考える。

平倉圭（東京大学・UTCP特任研究員）
「地層とダイアグラム——ロバート・スミッソンの「映画」」

アメリカの美術家ロバート・スミッソン（1938-1973）の映画《スパイラル・ジェッティ》（1970）と、批評的エッセイ「映画的アトピア」（1971）を分析する。ユタ州グレートソルト湖に突き出す人工の螺旋突堤《スパイラル・ジェッティ》（1970）の制作過程を記録した映画《スパイラル・ジェッティ》は、Artforum誌上で発表された「映画的アトピア」のなかでスティル写真の布置として再構成された。「映画的アトピア」においてスミッソンは、映画を想起することはできず、すべての映像は底なしの忘却あるいは「リンボ」へと溶解すると書いている。この忘却される映画と、スティル写真の布置、そして突堤の構造との関係を明らかにすることを本発表は目的とする。そこに現れるのは経験を面的／時間的にスライスする「地層」と、それを再編集する「ダイアグラム」の概念である。

石谷治寛（京都市立芸術大学・非常勤講師）
「クリント・イーストウッド映画における近代絵画の記憶−−「掘る人」のイメージ
を中心に」

映画以後のメディアの時代に美術史はどのように継承・発展されるだろうか。こうした課題についてクリント・イーストウッドの映画を議論の俎上にのせたい。彼の映画のモチーフとして、聖痕のイメージとともに、土を掘る場面が繰り返し登場しており、また具体的にピサロやミレーの絵画が引用されていることは注目される。これまでイーストウッド映画は、おもに古典的アメリカ映画の継承者として位置づけられてきたが、西欧の文化的記憶を解体・再構築する作家としての側面を明らかにしたい。そして「掘る人」やショベルのイメージの近現代美術史における意義を指摘しながら、これらが、イーストウッドによる西部劇以後の世界観においてどのように変奏されているかを論じる。「掘る人」は、一九世紀以来のモダニティの核心で、絵画と映画、静止と運動、夢想と現実、神話と歴史、農業と工業、生と死、大地と天空の境界に穴を穿つ役割を演じているのである。

水川敬章（名古屋大学大学院・日本学術振興会特別研究員）
「押井守の映像表現と言語表現」

押井守にとって「立喰師」——食い逃げを行う香具師——という架空のキャラクターは、これまで彼がてがけたアニメや実写映画にしばしば端役として登場してきたが、それが中心化されたのは2000年、『立喰師列伝』という奇妙な語り——民俗学の論文の形式の小説においてであった。この小説は2004年に単行本化される。そこでは、アウトローである「立喰師」を軸に虚実が入り乱れる戦後昭和史が描かれ、政治的な主題が書き込まれた。そして、2006年、押井は、かかる小説を原作として同名のアニメ映画を発表する。ここでは、物語内容・主題は小説に準拠しつつ、映像表現においてはペープサートを使用したアニメーションという表現が採用された。本発表では、これら小説・アニメ映画というふたつの『立喰師列伝』における表現について分析を行い、両者の関係性を検討する。特に、「立喰師」の存在及び、物語の主題とこれら表現の関係性について議論したい。

前木由紀（京都外国語大学・非常勤講師）
「新しい古さ——『ヒュプネロトマキア』における「古代風」の問題」

本発表で取り上げるのは、1499年にヴェネツィアで出版された刊本『ヒュプネロトマキア・ポリフィーリ（ポリフィロの愛の戦いの夢）』である。本書は挿絵を数多く含む幻想的な愛の物語であり、イタリア・ルネサンス出版史においては類例のない奇書とされる。
　哲学者ジョルジョ・アガンベンによる評論「言語の夢」において、本書はルネサンス人文主義における言語問題の提起として位置づけられ、主人公ポリフィロの愛の対象たるポリアは「ラテン語の生きながらの死」のメタファーであるとされる。実際本書の文体はラテン語と俗語とを意図的に混成した人工言語である。アガンベンは本書の文体を、死せる言語＝ポリアに対する愛を自己言及的に示す、不可能な「夢」の言語であると結論する。
　このようなアガンベンの見方は、図像学的なアプローチにおいても一つのヒントとなるのではないか。本書のイメージとテクストが作り上げる古代風の建築や彫刻、庭園や祝祭を図像学的に分析しても、イメージの「意味」は結局のところ「愛の寓意」に帰着してしまう。「意味のない」装飾文様、牧歌的風景——その後数世紀の間にありきたりのものとなってしまった——こそが、「新しさ」を端的に示していたことを今一度確認したい。
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    <title>トークセッション：田中純×大宮勘一郎「ベンヤミン、あるいは都市の書法」</title>
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    <published>2007-12-03T09:33:58Z</published>
    <updated>2007-12-03T09:39:03Z</updated>
    
    <summary>ベンヤミンから都市へ、あるいはベンヤミンの都市へ──。 田中純『都市の詩学──場...</summary>
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        ベンヤミンから都市へ、あるいはベンヤミンの都市へ──。

田中純『都市の詩学──場所の記憶と徴候』（東京大学出版会、発売中）、大宮勘一郎『ベンヤミンの通行路』（未來社、12月5日発刊予定）の2冊の刊行を記念したイヴェントが、12月10日（月）18：30〜、ジュンク堂書店新宿店にて行なわれます。


        <![CDATA[都市を遊歩し、陶酔し、低徊し、そして記述した批評家ヴァルター・ベンヤミン。19世紀から21世紀へと世紀の閾をこえて、思考のモデルとしてのベンヤミンを「いま・ここ」に召還し、その書法（スタイル）を問う。写真・映画・建築・文学・考古学にわたって横断的な都市論を展開する田中純、そして、ベンヤミンのテクストから、記憶と回想、物語と分身、複製技術と残余、批評と翻訳の問いを切り開く大宮勘一郎──東京大学教養学部ドイツ科同窓の両氏による、初対談。

日時：2007年12月10日（月）18：30〜
会場：ジュンク堂書店新宿店・8F喫茶
入場料：1000円（1ドリンク付）・定員40名・要予約
予約受付：ジュンク堂書店新宿店7Ｆカウンター（電話03-5363-1300）

詳細は以下をご覧ください。
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    <title>『10＋1』「瀝青会」──今和次郎『日本の民家』再訪イヴェントのご案内｜飯尾次郎</title>
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    <published>2007-09-14T08:42:06Z</published>
    <updated>2007-09-14T09:05:18Z</updated>
    
    <summary>『SITE ZERO』責任編集者・田中純氏をお招きして下記のイヴェントを行ないま...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://site-zero.net/blog/">
        <![CDATA[『SITE ZERO』責任編集者・田中純氏をお招きして下記のイヴェントを行ないます。
直近のご案内となりましたが、皆様のご来場をお待ちしております。

歴史工学家・中谷礼仁氏、ランドスケープデザイン・石川初氏、建築史・清水重敦氏、同・御船達雄氏、写真家・大高隆氏を中心に、各分野の研究者が集まった「瀝青会」は、1年前より今和次郎『日本の民家』の調査地再訪を目的として活動を続けています。
これまでの研究成果と調査経緯は『10＋1』No.43─48（連載中）「『日本の民家』再訪」、<a href="http://tenplusone.inax.co.jp/project/kon/" target=blank>10＋1 web site「BLOG・再訪『日本の民家』」</a>でお読みいただけます。

調査の旅は現在も続いていますが、再訪予定地のおよそ1/2を巡ったいま、田中純氏（表象文化論）、菊地暁氏（民俗学）をお招きしてトーク＋写真（未発表含む）公開イヴェントを行ないます。

ご興味のある皆さまは、下記要領にてお申し込みのうえ是非お越しください。


■テーマ：今和次郎『日本の民家』再訪／民俗誌と写真

■開催日：2007年9月18日（火）19：00〜（21：00予定）

■場　所：<a href="http://inaxginza.info/access/index.html" target=blank>東京・京橋INAX：GINZA  7階  クリエイティブスペース</a>
※ 近くに駐車場がございませんので、公共機関をご利用ください。

■出演者：
　- 田中純（表象文化論、東京大学准教授、『都市の詩学』近刊）
　- 菊地暁（民俗学、京都大学助教、主著『柳田国男と民俗学の近代』）
　- 中谷礼仁（歴史工学家、瀝青会メンバー、早稲田大学准教授）
　- 大高隆（写真家、瀝青会メンバー）

■参加費：無料

■お申し込み方法
お名前、ご所属、ご連絡先をお書き添えのうえ、「<strong><a href="mailto:info@tenplusone.inax.co.jp">info@tenplusone.inax.co.jp</a></strong>」までメールにてお申し込みください。]]>
        プログラム（予定）

□1部
基調講演：中谷礼仁「瀝青会の射程、日本の民家、日本人の住まい」
特別講演：田中純「写真という方法、宮本常一」
特別講演：菊地暁「民俗写真の系譜学、写真を読む力」

□2部
中谷×田中×菊地×大高：ディスカッション＋写真公開「写真、民俗学、フィールド・ワーク」


［これまでに再訪した調査地］
神奈川県旧内郷村／埼玉県旧大間木村／東京都・甲州街道／徳島県旧日和佐町／徳島県石井町／徳島県旧三縄村／徳島県旧西祖谷山村／愛媛県松山市／高知県南国市／高知県上川口／奈良県生駒山／和歌山県紀ノ川／東京都伊豆大島など
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    <title>「イメージ（論）の臨界：イメージの氾濫を前にいかに思考するか」|阿部真弓</title>
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    <published>2007-08-24T02:00:00Z</published>
    <updated>2007-08-24T02:14:34Z</updated>
    
    <summary>８月３１日の午後、京都にてフォーラム　「イメージ（論）の臨界――イメージの氾濫を...</summary>
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        <name>阿部真弓</name>
        
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            <category term="イベント" />
            <category term="研究" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://site-zero.net/blog/">
        ８月３１日の午後、京都にてフォーラム　「イメージ（論）の臨界――イメージの氾濫を前にいかに思考するか」が行われます。
        「　８月末に若手研究者を中心とするフォーラムを京都大学にて開催します。
残暑厳しい時節ではありますが、皆様のご参加をお待ちしております。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
フォーラムタイトル
「イメージ（論）の臨界――イメージの氾濫を前にいかに思考するか」

日時：　２００７年８月３１日（金）１３時から
場所：　京都大学大学院人間・環境学研究科棟２３３号室
http://www.kyoto-u.ac.jp/access/kmap/map6r_ys.htm
主催：　科学研究費萌芽研究「美術史の脱構築と再構築」（代表：岡田温司）
問い合わせ：　岡田研究室075-753-6546


パネラーおよび発表タイトルと要旨

郷原佳以（東京大学大学院・日本学術振興会特別研究員）

「「逆説的なオブジェ」としての文学言語--ブランショにおけるマラルメとジャコメッティ」

　「イメージのインフレーション」の進行に伴って、再-現前化としての表象概念を批判的に検討し、ある種のイメージ信仰に警鐘を鳴らすことが戦後思想にとっての急務であったとすれば、ここ十年ほどの西欧思想においてはやや別の角度から「イメージ」に光があてられている（『水声通信』２００６年１０月号岡田温司論考）。ディディ＝ユベルマン、マリ＝ジョゼ・モンザンといった狭義のイメージの専門家のみならず、アガンベン、ナンシー、ランシエールといった哲学者が「イメージ」を主題に据えて次々と思索を展開する様にひとつの徴候を認めないわけにはいかない。現代におけるこのような「イメージ」概念再浮上の背後に共通した名前を見て取ることが許されるとすれば、そのひとつはモーリス・ブランショのそれである。このことは一見奇妙なことに思われよう。なぜならブランショといえば「書くこと（エクリチュール）」を視覚的思考から解放し、極限まで純粋化して思考した文学者として知られているからだ。しかし、にもかかわらず彼の文学論はある種のイメージをめぐる思考に貫かれている。だとすれば、つまり、表象＝再現前的な物語の終焉を宣した文学論が、それでもなお、ある種のイメージの思考に行き着くとすれば、この思考が、表象批判を通過した後のイメージ論と響き合うのは不思議ではない。本発表では、遠近法から逃れる「逆説的なオブジェ」の現出を文学言語に見出した文学者ブランショの思考を、現代のイメージ論のひとつの先駆として紹介したい。


橋本一径（東京大学大学院・日本学術振興会特別研究員）

「身体の亡霊たち ――その弔いを目指して」　

　1930年代に渡米したオーストリア出身の精神科医ポール・シルダーは、1950年に初版の刊行された書物『人体のイメージと見た目（The Image and Appearance of the Human Body）』のなかで、事故などで手足を失った人々が、なおも自らの手足の存在を「亡霊」として感覚するという現象を手がかりに、身体イメージの主観的なステータスについての分析を行うだろう。一方、1920年代のボストンでは、霊媒師マージェリーが、自らの呼び出した心霊 「ウォルター」の指紋をせっせと採取し、降霊会の観客たちにおみやげとして持ち帰らせることになる。本発表は、近代において身体に憑依を始めた、様々な亡 霊たちをめぐる考察である。亡霊とは「死者」の蘇りであると仮に定義するなら、本発表はその「死」を、19世紀の医学 的言説に求め、「殺害」の現場を特定することによって、「弔い」の行為とすることを目指したい。


阿部真弓（ボローニャ大学美術史専門課程）

「タイムラグ――イメージに包囲される絵画」

　１９１１年。「透視図法の黄昏」にあってなお、デキリコの形而上絵画は未だ「甘美な遠近法」とともにある。伝達、移動、情報の、新しく、巨大化した装置・媒体、それらがもたらす距離と心理の変容を高らかに謳った未来主義において、ウンベルト・ボッチョーニやジャコモ・バッラら画家たちは、異質な「時間」の出現を知覚しながらも、新しい「世界感覚」や「イメージの感情的価値」をあくまでも絵画と彫刻において再現しようと試みていた。「機械的自然」の時空が画布のうちに到着しようとする時、画面はあたかも映画的なショットを模しはじめる。描かれた像は自らの物質性とイメージとの近似性との間で宙吊りとなってはいなかったか。あるいは「運動の表象」という探究における絵画の致命的な遅れ。象徴主義的精神と形式に対する「時代遅れの忠誠心」。かくも人間的なこれらのタイムラグに関わる形象を分析する。


千葉雅也（東京大学大学院・日本学術振興会特別研究員）

「ドゥルーズと可塑性」　

　形作ること／形を超えること――とりわけ『ザッハー＝マゾッホ紹介』 （1967年）において、マゾヒズム／サディズムの差異に重ねられ たこの対比は、ドゥルーズ哲学の根本的ダイナミズムである「潜勢的なものの現勢化」と密に関わっている。本発表は、この対比が表現しているもの、すなわち「形態」そして「形式」（forme）の「可塑 性」（plasticite）という問題系が、存在論と美学のドゥルーズ的な合流点においてどのように構造化されているのかを検討したい。そ のため、前掲『マゾッホ紹介』の細部から『差異と反復』（1968 年）の根幹を問い直すという読解手法をとったうえで、『フランシス・ ベーコン――感覚の論理』（1981年）など、後期の芸術論についても考察することになるだろう。その過程で、カトリーヌ・マラブーの哲学における「可塑性」概念とドゥルーズを比較することも試みたい。


鯖江秀樹（京都大学大学院・日本学術振興会特別研究員）

「グラムシと強迫的な影としてのイメージ」

　ひとつの実験的な試みとして、「イメージ」という語に沿ってアントニオ・グラムシの 『獄中ノート』を解読すると、彼の立場からして現実には想像することすらありえない（あるいは、あってはならない）矛盾した解釈や認識（たとえば「国家なき国家のイメージ《immagine di Stato senzaStato》」）を指示するために、その語が用いられているのがわかる。それとは逆に、家族に宛てた手紙でこの獄舎の思想家は、同じく歴史に対するイメージや幻想を示唆しつつ、「死んだもの（cose morte)から解放されるのは、残念ながら難しいのです」と記した。イメージに対するこの両義的で強迫的な立場は、グラムシを同時代に書かれた批評言説へと駆り立てる契機となったのではないか－－今回は、近年の視覚文化研究の制度化にともなって再浮上してきた「言葉とイメージ」という、古典的ではあるがきわめて意義深い問題系を念頭におきつつ、グラムシと当時の言説、イメージが切り結ぶ複雑な関係を捉えなおしたい。


岡部宗吉（京都大学大学院・博士後期課程）

「音・イメージ・言葉」

　音楽の本質は言葉を超えたところにあるといわれる。たしかに、音楽または音を聴いた印象を言葉や視覚イメージに置き換えるのは難しい。とはいえ、その困難な作業に取り組む者はいつでも存在するし、そもそも、「音楽は耳を澄ませて聴くもの」という音楽観があまりに一面的で近代的なものであることも事実である。そのことは、かつて西洋において音楽が数学的四科に数えられていたことを思い出せば十分だろうし、音楽を聴覚以外の感覚と交差させる試みはさまざまな局面にあまた見出すことができる。たとえば16世紀のマドリガーレやJ.S.バッハの作品にみられる、歌詞の各単語の意味を楽譜上で視覚的にあらわす手法、あるいはリストのピアノ曲におけるアクロバティックな手の運動など。そうした具体例をとおして、いかに音楽学の側から「イメージ」の議論に切り込むことができるか、探ってみたい。


岡本源太（京都大学大学院・博士後期課程）

「時をともにする――イメージの経験と認識についての試論」

　イメージを眼差す。そのときわたしたちは、イメージにおいて現在を経験するのだろうか、それともイメージをとおして過去を認識するのだろうか。イメージとして見られるのは、現在にある作品なのだろうか、それとも過去にあった営為なのだろうか。とりわけ美術史がつねに直面せざるをえなかったこの問いの消息を、この機にしばしたどってみることにしたい。とはいえ、実のところ、この問いはイメージを眼差すことのうちですでに答えられてもいる。この問いはそもそもありえないのだ。というのも、イメージを眼差すことのうちでは、過去と現在は分断されず、現在の経験と過去の認識は混淆しており、いわばひとつであるからだ。そのとき、あらためて問うべきものとして姿をあらわすのが――ダニエル・アラスが「アナクロニックな同時代性」という語で示唆したように――「同時性=同時代性」の問題だろう。同時性=同時代性、つまり時をともにすることは、単純に現在という同じ時点にあることではありえない。それはむしろ、相互作用的な共存のことであり、見えているものと見えていないものが変転しゆくアナクロニズムの過程なのではないだろうか。


唄邦弘（神戸大学大学院・博士後期課程）

「バタイユにおける供犠的イメージ」

　バタイユの生涯には、最も「決定的な役割」を果たしたと言われる一枚の写真が存在する。バタイユにとって、そのイメージは暴力的な苦痛と魅惑的な恍惚の感情を引き起こすイメージだった。そこには、「見る」という激しい欲望が働いている。しかしバタイユの視覚は、夜の闇の中で絶えず挫折させられ、その欲望は、恐怖の叫びとなる。それによって見る＝知るという人間の理性的行為は、叫びをあげるという動物的な行為へと開かれる。バタイユがアセファルのイメージによって示した人間的理性の放棄は、こうした両義的な体験の中で捉えられなければならない。バタイユにとってそれは、人間的存在でも動物的存在でもない、至高の存在なのである。本発表の目的は、まさにこうしたバタイユの特異な体験を、彼の写真イメージを介して引き起こされる瞬間的な身ぶりを捉えることによって明らかにすることにある。


司会　多賀健太郎（大阪大学大学院・専任講師）

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　」
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    <title>澁澤龍彦——幻想美術館｜田中純</title>
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    <published>2007-05-12T09:54:36Z</published>
    <updated>2007-05-12T10:10:27Z</updated>
    
    <summary>埼玉県立近代美術館で開催中の「澁澤龍彦——幻想美術館」へ。 シブサワの呪縛圏から...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        <uri>http://news.before-and-afterimages.jp/index.html</uri>
    </author>
            <category term="展覧会" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://site-zero.net/blog/">
        埼玉県立近代美術館で開催中の「澁澤龍彦——幻想美術館」へ。
シブサワの呪縛圏からはすでに遠いこともあり、醒めた感慨を抱く。
        <![CDATA[展示の冒頭で示される武井武雄や初山滋の絵本の世界から一生抜け出すことのなかった人なのだろう。
それはもちろん肯定的に言うのだが、翻ってみれば、絵画論に終始、そこから来る限界があり、お勉強の域を出なかった部分もあるということを否定できない。
スワーンベリを偏愛していた、というところにも、それは顕著に表われている。

鎌倉文化人のサークルめいた60年代「異端」文化が、急に色褪せて、何やら非常にセクト的なものに見えてしまうのは何故なのか。
澁澤自身もどうも無理をしているように見えてならない。

基本的に博物誌、玩物喪志の人物であるところに惹かれた、と、今にしてわかる。
表現者としては、晩年の幻想譚が、やはり、一番懐かしい。

オマージュとして
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memento mori]]>
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    <title>北京郊外・宋庄の芸術家村｜田中純</title>
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    <published>2007-03-27T08:30:29Z</published>
    <updated>2007-03-28T10:38:50Z</updated>
    
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        <name>田中純</name>
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        ３月25日、北京中心部から車で１時間弱のところにある宋庄（宋荘）の芸術家村に、秋山さんの知人であるパフォーマンス・アーティスト、王楚禹氏を訪ねる。王氏とは前日、北京のアート地区798の画廊オープニングでお会いしていた。彼はこのオープニングを飾るパフォーマンス連続公演のキュレイターである。
        <![CDATA[パフォーマンス公演のひとつ。
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参加したアーティストたち。
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宋庄は恐ろしく広大な土地で、そこにアーティストたちの自宅・アトリエや美術館が点在している。王氏や友人のアーティストたちとそのいくつかを見て回る。

<a href="http://site-zero.net/blog/images/IMG_0627.php" onclick="window.open('http://site-zero.net/blog/images/IMG_0627.php','popup','width=1066,height=800,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://site-zero.net/blog/images/IMG_0627-thumb.jpg" width="159" height="120" alt="" /></a>
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手前の左から二人目が王氏。

道路沿いに見つけた奇妙な建物。何かの賞を受けたアメリカ人建築家の作品だというが不詳。竣工後３年経つのに、何にも使われていないという。
<a href="http://site-zero.net/blog/images/IMG_06281.php" onclick="window.open('http://site-zero.net/blog/images/IMG_06281.php','popup','width=1066,height=800,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://site-zero.net/blog/images/IMG_0628-thumb.jpg" width="159" height="120" alt="" /></a>

王氏の話のなかで、政権の「正統性」ないし「正当性」という観念に行き当たる。
正統にして正当な権威が天皇制というかたちで曖昧に保証されているかのような日本にあっては、この問い自体が先鋭化しないのではないだろうか。798のイベントでパフォーマンスを演じた日本人アーティスト（いずれも女性であったことは象徴的）が、シャーマニズムを連想させるような儀礼を上演していたことも、その意味では示唆的なように思われた。

対して、彼の地ではパフォーマンスとは直接的な「政治」行動なのだろう。
翻ってこの地では、芸術による「国家論」とは、高度に知的な議論ではありえても、パフォーマンスにはなりえない。
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    <title>南京の先鋒書店（Librairie avant-garde）｜田中純</title>
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    <published>2007-03-24T01:02:55Z</published>
    <updated>2007-03-28T10:34:48Z</updated>
    
    <summary>南京大学の表象文化論集中講義のため、中国・南京市に滞在中。 今日は、今回の集中講...</summary>
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        <name>田中純</name>
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        南京大学の表象文化論集中講義のため、中国・南京市に滞在中。
今日は、今回の集中講義に同行した助手の秋山珠子さんの紹介で、南京を代表する人文社会系の書店先鋒書店のオーナー、銭曉華氏にお会いした。
        <![CDATA[2004年秋の初来訪時にも、たまたま宿泊したホテルの目の前にあって、地下駐車場を大胆に使った広大な売り場に強い印象を受けた書店。
昨年もお会いしてお話をうかがった。
今回は学者や芸術家が多く住む地域にオープンした新店舗を案内していただく。

日本で言えば青山ブックセンターか。
秋山さんに訳してもらいながらうかがったお話によると、オーナーは今後も知識人のための会員制のサロンのような書店を作りたいなど、旺盛なアイディア。
新店舗の前で。
<a href="http://site-zero.net/blog/images/IMG_0549.php" onclick="window.open('http://site-zero.net/blog/images/IMG_0549.php','popup','width=800,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://site-zero.net/blog/images/IMG_0549-thumb.jpg" width="160" height="120" alt="" /></a>

本店の店内（2006年撮影）。
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インターネットによって、ネットワークが容易に築かれたようでいて、共有する空間がかえって失われたように見える状況は、東京のほうが深刻かもしれない。
漫然と無駄な（目的のない）時間をそこで過ごすことができる「市中の山居」のような空間は、今だからこそ、必要だろう。]]>
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    <title>日本生物地理学会第62回年次大会シンポジウムに参加します｜田中純</title>
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    <published>2007-03-17T13:41:36Z</published>
    <updated>2007-03-17T14:28:33Z</updated>
    
    <summary>「進化と系譜：ツリー，ネットワーク，視覚言語リテラシー」 オーガナイザー・司会：...</summary>
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        <name>田中純</name>
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        <![CDATA[<a href="http://wwwsoc.nii.ac.jp/tbsj/meeting/62nd/program.htm#sympos">「進化と系譜：ツリー，ネットワーク，視覚言語リテラシー」</a>
オーガナイザー・司会：三中信宏（農業環境技術研究所／東京大学大学院農学生命科学研究科）

日時：2006年4月8日（日）13:00〜15:30
場所：立教大学（豊島区西池袋）
このシンポジウムについては、非会員の参加も自由とのことです。

演者・演題：
13:00 - 13:30
　三中信宏（農環研／東大・院・農生→website）
「ツリーとネットワーク：系図言語とそのリテラシー」

13:30 - 14:00
　中村雄祐（東大・院・人文社会・言語動態→website）
「現代世界における「リテラシー」と生存」

14:00 - 14:30
　細馬宏通（滋賀県立大・人間文化→website）
「絵の宛先の革命 — 郵便改革と絵はがきの登場 — 」

14:30 - 15:00
　田中　純（東大・院・総合文化・超域文化科学→website）
「イメージの／イメージによる系譜学：人文学の図像的転回をめぐって」

15:00 - 15:30 総合討論
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    <title>SITE ZERO　進捗状況｜田中純</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://site-zero.net/_tool/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=2/entry_id=139" title="SITE ZERO　進捗状況｜田中純" />
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    <published>2007-03-17T13:36:01Z</published>
    <updated>2007-03-17T14:28:33Z</updated>
    
    <summary>懸案は終えて、ようやく先が見えてきたといったところ。 ...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
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            <category term="SITE ZERO" />
    
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        懸案は終えて、ようやく先が見えてきたといったところ。

        岡崎乾二郎さん、中谷礼仁さんとの座談会を終えて、あとは連載などの最終的な調整を待つのみ。
今しばらくお待ちください。
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